前回(眠られぬ当直(よる)のために3)の要約
出生前診断がどれだけ進歩しようと、治療か中絶かのどちらかが可能でないと、検査の意義が失われてしまいます。児は疾病・障害がある。対処法はまだない。それでは何の意味もないということです。
胎児治療はひろく行われています。児の疾病・障害に合せて、薬剤投与、輸血、手術と様々な方法が用いられています。しかし、cell-free DNA検査の結果は、直接胎児治療に結びつくものではありません。この検査が胎児治療に直接結びつかないとするなら、つまりその目的は、障害を理由とした中絶の判断材料だということです。
ところが、中絶の要件を規定した母体保護法は、障害を理由とする中絶を認めていません。国民優生法の流れをくむ、悪評高き優生保護法成立が1948年。その翌年1949年には改正され、経済的理由の中絶が可能となりました。当時の日本は貧しく、戦後の人口増加で食糧難が心配され、また有効な避妊法もない時代のことですから、経済的理由が組み込まれたのは、時代の要請であったかも知れません。優生保護法の目的は「不良な子孫の発生を防止すること」にありました。出生前診断が不可能な時代だったので、その目的達成のため、優生手術(不妊手術・断種)が行われました。この法律のもと、多くの人が強制断種させられた事実は忘れてはなりません。
時代が下り、1960年代後半の羊水検査を初めとして、超音波検査、絨毛検査といった出生前検査が利用可能となりました。出生前検査が可能となれば、誰しも検査に無関心ではいられません。検査が陽性で、治療困難であれば、中絶して今回は諦めようと考えるカップルも出てきます。しかし優生保護法は、胎児の障害を理由とした中絶を認めていません。そこで拡大解釈されたのが「経済的理由」だったのです。もっと直接に、胎児の障害を理由とした中絶(胎児条項)を認めるべく、法改正の動きもありましたが、障害者団体から強く批判され、その動きは頓挫します。我々障害者は間引かれ殺されても良い存在ではないとの声によって。
1996年、差別的な優生保護法が母体保護法へ改められました。出生前診断は進歩したにもかかわらず、強い批判によって胎児条項は不採用で、これだけ豊かになったにもかかわらず、経済的理由は生き残ったままです。出生前診断の進歩により、障害を理由とした中絶が行われているのに、書類の上では経済的理由なのです。胎児条項には強い批判がある一方、障害を理由とした中絶を禁止も出来ない。歴史的経緯のあるネジレが、奇妙なバランスをとっているのが現状です。
ここで出た疑問が...
ひどい差別なのはよくわかるんですけど
障害を理由とした中絶が
なぜいま生きている障害者への差別なのか
自分にはちょっとわかりにくいっす
そのことでどんな不利益があるんすかね?
だってさあ、おかしくない?
昔のように強制断種はしない
もちろん強制隔離もしない
出生前診断で障害者福祉を減らそうというのでもない
それなのに何で差別なんすか?
まあな
もっとも、社会保障を削りたいのが
政治家・役人といった人種だが
良い気はしないかも知れませんが
胎児条項導入が即差別につながるとは
ちょっと考えにくいですねえ
でも胎児条項を入れることによって
障害者は無用の存在という負のイメージを
公的に認めることにならないかしら?
間引かれても仕方ない存在だ、って
それは考え過ぎじゃないのかな?
出生前診断発祥の地、イギリスでは
そんなトラブルは起きてないと聞くよ
選択的中絶と充実した障害者福祉とが
矛盾するとは思えない
良い気分ではないだろうね、それは認めるよ
でも、良い気分がしないからといって
他人の選択に口を挟んでよいとは思えないな
それに出生前診断先進国のイギリスで
研究に資金提供してるのは、他でもない
ダウン症や二分脊椎症の団体なんだよ
ほお
そうなのか
ワタシたちの自尊感情だって
周りの人がどんなまなざしで自分たちを見ているかによって
高められることも、低められることもあるわよね
胎児条項を入れることは、障害者にマイナスのまなざしを送ることになりはしない?
まあそれはそうかも知れないけど
いま生活してる障害者の人たちを
差別的に扱うわけでもないのだし...
それでなくても
冷ややかな視線を感じながら
生きざるをえないのも現実なのよ
この上、法律で大々的に認めてしまって
自尊感情を保っていられるかしら?
言ってることは理解出来るけどねえ...
でも、障害があるより健康な方が良いと思うでしょ?
人間誰しも、我が子は健康であって欲しいと願うのじゃないかな
それは人の正直な願いだよ
障害は不便だけど不幸ではない
そう言ってる人もいますよ
障害は文化だ、個性だという人も
健康であることに大きな価値をおくのは
差別的な考えともいえるわ
障害者が生きにくい社会にこそ問題があると思うの
確かにそういってる人もいるな
じゃあ訊くが
障害は文化であり、個性だというなら
車に轢かれて寝たきりになっても
個性が変っただけで済まされるのかい?
犯罪被害は?薬害は?公害は?
それは話が飛躍し過ぎなのでわ?
病気だって個性だ
治す必要なんかない!
いやそれはさすがに変な気がするっす
変じゃねーよ
障害は文化だ個性だって考え方はな
人が生きるよすがになりこそすれ、世の中の悲惨を説明できねーんだよ
言えるもんなら言ってみろよ
事故で四肢麻痺になった人に、新しい自分発見☆キラリ☆とかよ
まあ難しい話ではあるがな
ですよね!
じゃあ今のねじれ状態を解消するため
胎児条項を入れれば問題ないっす!
だーかーらー
簡単に白黒つけんじゃねーよ
自尊感情の問題はちっとも解決されてねーだろーが
問題は問題として認識しとけよ
それと障害者には生きづらい社会は、誰にとっても生きづらいのかも知れないことも
頭の隅には置いておけよ
法律と実態との乖離を問題にする産科医はいますね
そのことで起訴された医者はいないと思いますし
合法の体裁ではありますが
実態は障害を理由の中絶をしていますからねえ
でもそうすることで
バランスをとっているのかも知れません
建前は障害を理由とした中絶は許さない
実態は決してそうではないけど
あえて問題にしない
まあな
それも智慧の一つかも知らん
実際、ダウン症の団体は、選択的中絶そのものに
反対しているわけじゃない
それはプライベートな領域にとどめてくれ
法律で堂々と認めないでくれと言ってるだけだ
法律と実態とをピタイチ合せようとすれば
とてつもない混乱を招きそうだ
周りのまなざしが、人の自尊感情に大きく関係している
そのことに気付かないのは、健常者が自分のことをよく解ってないからだ
プライベートな事柄だから、他人は口出すなと言うヤツは
プライベートな行動も他人の行動に、そして全体に影響することが解ってない
何となく解りました
でも出生前診断と選択的中絶とが
いま生活している障害者に対して
実体的な不利益を与えないのは間違いないっす
いやな言い方かも知れないけど
障害者福祉を減らさない前提であれば
障害者の出生率が減ると
一人当りに使えるリソースが増えもするからね
つづく
※この物語はフィクションです
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