不謹慎系フィクション医療ブログ
登場人物
豚児(とんじ)
生真面目な内科医。ヘブンズドアホスピタルの面々に翻弄されるかわいそうな人。
黒金(くろがね)
金髪ガン黒内科医。基本的に根性が悪い。
一方、面倒見が良いとも言われるが...
日野原重明(ひのばるじゅうめい)
ヘブンズホスピタル院長。
"あの人"に似るが全くの別人。
当年100歳の矍鑠たる翁。
座右の銘は"逝きかた下手"
有瀬太(ありせふとし)
モノ忘れ外来担当医。老練な診察は受診者に勇気と希望とをもたらす。
救急部長
明るく鷹揚な人柄で、部下から慕われる救急部のリーダー。無尽蔵の体力で日夜診療に当る好漢だが、困った一面も。
羽田直通(はねだ なおみち)
ヘブンズドアホスピタル内科部長。クセのある部下に悩まされる苦労人。
愛嬌ミチコ(あいきょうみちこ)
マジメで世間知らず、そして愛嬌がウリのテヘペロ女医。大富豪のお嬢様。
田原正直朗(たわらしょうじきろう)
ヘブンズホスピタル外科部長。大変おおらかな性格。真摯な診療態度からついたあだ名はDr. Honesty。信条は「嘘のない医療」
酒井 和民(さかい わたみ)
救急部レジデント。威勢の良さは某居酒屋並み。救急部と居酒屋と、ブラック業種つながりでは決してないんだから勘違いしないでよね!
鬼龍院花子(きりゅういんはなこ)
外来ナース。このご時世にナースキャップ着用を墨守する。笑顔で業界用語を連発する。愛読書は『実話時代』
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前回(眠られぬ当直(よる)のために4)の要約
かつての優生保護法も、現行の母体保護法も、胎児の障害を理由とした中絶を許可していません。しかし実際は、胎児の障害を理由とした中絶は行われています。この乖離を解消するため、障害事由の中絶(胎児条項)を認める動きもありましたが、障害者団体の強い批判を浴びたため、今だにネジレは残ったままです。胎児条項は命の選別を正当化し、障害者差別を招くとの声によって。
しかし...
との疑問が出ました。これに対して...
と指摘されました。
それは確かに問題です。
と彼は自信満々に言いますが...
ハンセン病はあくまで喩えでな
新規患者数が減った結果、稀になった疾患の診断は難しく
患者の治療も出来ないってこった
もっともハンセン病の場合、効果的な治療法が発見された後も、
人権無視の隔離政策がとられていたんだが
新規患者数が減った結果、稀になった疾患の診断は難しく
患者の治療も出来ないってこった
もっともハンセン病の場合、効果的な治療法が発見された後も、
人権無視の隔離政策がとられていたんだが
アリソンさんは、医学者の考え方やその開発した技術によって、明らかに二分脊椎の人たちに「不利益」、それも「いま生きている人たちの命をも脅かす不利益」が降りかかっているというのである。患者の数が減ることによって、医学の主流ではなくなり、新人医師が育たなくなっているという...エジンバラ大学病院で二分脊椎の病棟を探したが、「昔はあったが」と言われ、見つからなかった。
(第六章 生と死の選択 196ページ)
「客観的な数字として二分脊椎の専門医が何人減ったか、というデータは持ち合わせていません。しかし、現場で二分脊椎を診ている医師も、アリソンさんと同じように感じていますよ」と語る。
(第六章 生と死の選択 196ページ)
さらにアリソンさんの話は、注意深く聞くと、もうひとつ重要なことを提示している。そもそも「二分脊椎の子は救命するにあたらないとした、ローバー※1の考え方とスクリーニングの技術躍進」は「死の技術であり、哲学だ」と言っている。「治療しなくてよい」、「中絶してよい」という考え方が現実になったことで、医療現場に「治療しよう」という意欲が失われているのではないか、生命観が変わったのではないかとアリソンさんは言う。
※1 ジョン=ローバー:二分脊椎児の治療・リハビリに当ったイギリスの小児科医。予後の良くない児を治療しない、選択的治療停止の基準(ローバーの基準)を発表した
(第六章 生と死の選択 197ページ)
つづく
※この物語はフィクションです
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無題
こんにちは。
いつも楽しくブログを拝見しております。
>胎児条項を認め、選択的中絶が増えると
>障害者への蔑視につながり
>それが自尊感情を損なう
という点については納得しつつもそれだけではないというものも感じます。
胎児条項が認められた場合、選択的中絶が増えたり障害者への蔑視が強化されなくても、障害者の自尊感情には負荷が掛かるように思えるのです。
自分が生まれ落ちたこの状態が社会にとって受け入れがたいものであるというのは、認めるのがつらい。
これは人の自然な感情であると考えます。
現在、経済的な事由による中絶は認められていますが、これは一歩間違うと経済的弱者のより強い差別に繋がりかねません。
「あそこの家は金に困っているのになぜ子供を作るのだ」
というような中傷はわりと世間に多いものです。
それがさほど深刻に語られないのは、貧困は障害よりも乗り越えやすいハードルであるというコモンセンスがあるからなのでしょうが、これから先、社会の経済的階級が固定化すると大きく問題化する可能性があると懸念しています。
いつも楽しくブログを拝見しております。
>胎児条項を認め、選択的中絶が増えると
>障害者への蔑視につながり
>それが自尊感情を損なう
という点については納得しつつもそれだけではないというものも感じます。
胎児条項が認められた場合、選択的中絶が増えたり障害者への蔑視が強化されなくても、障害者の自尊感情には負荷が掛かるように思えるのです。
自分が生まれ落ちたこの状態が社会にとって受け入れがたいものであるというのは、認めるのがつらい。
これは人の自然な感情であると考えます。
現在、経済的な事由による中絶は認められていますが、これは一歩間違うと経済的弱者のより強い差別に繋がりかねません。
「あそこの家は金に困っているのになぜ子供を作るのだ」
というような中傷はわりと世間に多いものです。
それがさほど深刻に語られないのは、貧困は障害よりも乗り越えやすいハードルであるというコモンセンスがあるからなのでしょうが、これから先、社会の経済的階級が固定化すると大きく問題化する可能性があると懸念しています。